新井英一 LIVE


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2011


新井英一 LIVE in 白河
 4月24日、震災による避難所となっていた郡山市にあるビックパレットふくしまに新井さんは来てくれました。滝嶋前実行委員長が被災された方のために何か出来ないかとの思いから、新井さんに連絡をした所「そういう声を待っていたんです」と力強く言って下さり、1600人を超す避難所だったビックパレットふくしまに急遽駆け付けてくれました。
 あれから半年、いよいよ地元白河でのライブになりました。 今回はなんと新井さん望さんに加え篠笛の村山二郎さんがゲスト出演!新井さんからのサプライズでした。新井さんの声、望さんのギター、村山さんの篠笛で奏でる清河への道はとてもノスタルジックな雰囲気でした。
 今回もまたライブを手伝ってくれた白河道場のなかまたち、遠くからライブに来てくれたお客さんたち、やさしい笑顔と情熱の心で歌いに来てくれた新井さんたち、皆さまに本当に「ありがとうございましたーーーーー!!!」 (斎須拓身)

新井英一 応援LIVE for Fukusima
 10年間のライブを終え、そろそろ再始動しようかといっていた矢先の震災でした。急な思い付きから新井さんに連絡を取らせていただいたところ「喜んで行かせてもらいます。そういう声をまっていました。」と力強くありがたい返事をいただきました。電話から10日後に開催された「新井英一応援ライブ for Fukushima」は、主に原発事故による避難者が多い避難所・ビックパレットふくしま(1600人が避難中)での屋外ライブでした(中は人がいっぱいでスペースがありません)。
 生憎の肌寒さと、途中からの雨により、思い通りには避難者の方が出てきてくれず、どれだけ新井さん達の思いを届けられたか残念です。
 が、年配の女性が涙を流しながら歌を聞いていてくれたとのことで、それだけでも新井さん達に来ていただいて良かったと思っています。
 同じ東北、同じ福島でも私たちは幸いにも被害が少なくてすみました。私達のような元気になれる人は早く元気になり、でも隣人の存在を忘れることなく、疲れている隣人たちの手をそっと引いてあげらるよう、ゆっくり、しっかり歩いて行かなくてはと思っています。
 多くの皆様からお預かりした支援金は、道場ホールに置いてあった募金と一緒に、福島県への寄付金(寄付金は 県が行う災害復旧等対策の財源として活用されます。義援金は県内の被災者に分配されます。)とさせていただきます。


※趣旨に賛同して下さった方々からの寄付金から経費を差し引いた分と、私ども新極真会白河道場内で集まりました募金を合わせまして、161,935円を福島県への災害復興寄附金として5月2日寄附させていただきました。ありがとうございました。
私たち福島の復興への道のりは原発事故の影響もあり長く遠いものになると思いますが、私たちも微力ながらでも出来ることを続けていかなくてはと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。


 新井英一 10thライブ in 白河道場
 9月27日 曇り 気温は低い。今年で10回目(10年目!)を迎える新井英一Liveが行われるのは、白河道場。
 県内で、福島、矢吹、会津若松と様々な場所でLiveを行いながらの10年目の開催は・・・新設白河道場です!以前にも道場で行った事がありましたが、今回は2006年4月に新設された、新道場です。私は白河を離れる事、6年余りで久しぶりの白河でした。もちろん新しい道場も初めてです。
冒頭の「気温は低い」ですが、道場でやるには気温が低いと非常に助かります。何といっても冷房設備がありませんから!
 1年目のLive実行委員会の発起人4名のうち、10年目までやり通したのは2名。
私は途中でリタイアをしてしまいましたが、10年やると宣言して実践した滝嶋分支部長。斎須さんお疲れ様でした。今回は、10年目ということで今回は1年目の発起人である、自分と中島さんも東京と旭川から当日には道場に伺いました。また、会場設営から運営まで手伝って頂いた白河道場の皆さん。そしてLiveでお世話になった沢山の方々に支えられて10年目が迎えられました。皆さんありがとうございました。
 いつものように、新井さんが車で登場です。出迎えるのは白河名物となった男ばかりの実行委員会の面々。毎度、Liveではこの男ばかりの面々が話題となりますが、本当に男ばかりなのです。
他の場所ではないとの事なので、白河の伝統としていって欲しいです!
 そして、会場となる道場の確認を行い荷物の搬入。あれよあれよと道場がLive会場に早変わり。初めて会った、10年前と変わらない新井さんが今年も極上の時間を白河に届けてくれました。約90分。非常に心に染みるいいLiveでした。聞いたことが無い方はどうせなので、Liveで初めて聞いて下さい。その方が驚きと感動が深いと思いますよ。
 Liveの後は、、、、片付けをして、打ち上げです!今年も新白河駅東口の六番車にお邪魔しての打ち上げでした。相変わらず男ばかりの面々で、酒を飲んで旨いもの食って、飲んで笑って、辛いの食べて(笑)あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。翌日は、これも恒例ですが白河ラーメンを食べてからの解散となりました。
 斎須さん実行委員長お疲れ様でした。まだまだ続きそうな白河Liveですが、みなさん今後もよろしくお願いします。押守!
(元実行委員・元白河道場生 上野勝正)


骨髄バンクチャリティー 新井英一LIVE in 福島
 新井英一、この名前をご存知の方もいるだろう。TBSテレビの「筑紫哲也のニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、新聞、雑誌等で話題になり、その後そのアルバムは第37回日本レコード大賞を受賞する。日本生まれ日本育ち、朝鮮半島の血を引く自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ彼は、ライブにおいてもパリやNYカーネギーホールで行なった数少ない日本人のシンガーソングライターである。
 初めて彼の歌を聞く人は一様に皆驚く。太く大きな張りのある歌声に。歌が始ると、その声に圧倒されるように観客の一人一人が身動きをとめ静に唾を飲み込むのがわかるのである。一曲目はいつもこうだ。そして自分は後悔する。都合でこれなかった友人達に無理してでも聞かせてやりたかったと...。新井英一の魅力の一つは声だろう。せり上がるように出す鍛えこまれた涸れた声、低くうなる様に、時には咆える様に会場に響き渡る。新井英一の歌は本物のブルースだ。本人も云うように朝からは聞けない、重すぎるのである。そんな歌はこんな思いで作られている「忘れたくない出来事や、めぐり会えた人たちを歌に刻んでいきたい。時にはやさしい野の花のように溢れ出す息吹を大地に響かせ、天にも登らせてみたい。愛する人がいる限り、生かされている命がある限り、全てのために...。」
 今回のコンサートには200人の聴衆が集まってくれた。その中に韓国人の人がいた。彼女は新井英一の歌を是非一度自分の家族に聞かせたいと願っていたと話してくれた。自分の中に流れる血と同じ血の流れを新井の歌に感じ取って彼を誇りに思っているようだった。
 我々のコンサートは手作りである。イスを並べるところから撤収まで。主催者の滝嶋君は新極真会三瓶道場の白河分支部長を務める男であるが、10年前新井英一の歌を初めて聞き惚れ込み、氏と連絡を取り、次の年から地元白河で彼のコンサートを開いてしまった。以来今年で9回目を数える。初めて出会った時新井氏本人に「10年はやります」と約束をし、その言葉を実践する律儀な男である。また彼のコンサートは必要経費以外の全ての収益金は骨髄バンクチャリティーとして寄付している。彼は身体が資本の空手家だが骨髄バンクのドナーとして数年前に骨髄も提供した。この世界に彼に人生を助けられた人が確かに生きているのです。
 その滝嶋君から「先輩方来年は9回目なので是非福島でどうですか?」との話があり、「まず今年のチケットを送りますので久しぶりに見に来て下さい」と送られてきたチケットでそれを見に行ったから、断る理由も見つけられずに今回の開催を引き受けたのが自分(齋藤)と大先輩であり城西大学の空手部主将を務めてきた夏井先輩である。音楽好きギター好きの二人は、友人達の手を借りつてをたどりなんとか会場を一杯にする事が出来た。これもピアノの調律をボランティアで引き受けていただいた宗方氏や力を貸していただいた知人友人の方々のお陰、この場を借りてお礼を申し上げます。
 さてコンサートも無事終わり、新井氏を囲んでの打ち上げ(これも自己負担である)が楽しいのである。新井さんに言わせれば「福島に来ると打ち上げでもなぜか歌わされる」と嘆いていたが、例に漏れず今回も好きな曲をリクエストして聞かせてもらった。酒を飲ませて二次会の会場にはギターやピアノの置いてある店を選んでと、こちらもいろいろ仕掛けを考えて乗せるので大体は歌ってくれる。新井さんのもう一人の立役者はギタリストの高橋望さんだ。彼のギターはなめらかな指から歌いだすような音色とビンビンと鳴らすテクニカルな音と指を見ているだけでも充分に満足できる。ギターを弾く友人達は皆ギターの音に感動してくれる。そんな彼までも最後まで我々の目の前でギターを弾き皆を楽しませてくれた。作戦大成功である。夏井先輩などは新井さんとずうずうしく合唱までしてしまった。こんな具合にして、この夏の我々のささやかな、またちょっぴり人の役に立てた熱いコンサートが終わった。そしていつもの生活がまたいつものように始った。     (福島本部 齋藤文雄)


新井英一LIVE in 白河
 新極真会白河道場 滝嶋先生が中心となって毎年夏に行っている骨髄バンクチャリティー「新井英一ライブ」が今年も開催されました。8年目になるライブに、家内と初めて参加させていただきました。
会場のはくしん会館には早くから道場生の面々が、運営協力のために集合。駐車場整理、入場案内等、白河道場生の纏まりのよさに感心。
 私もちょっとお手伝いさせていただき、開演のオープニング曲は間に合わず、曲が終わるまで入口で待機、漏れてくるギターと歌声に心がはやります。
 満員の会場に入ると、スポットライトに浮かぶ、新井英一さんとギタリストの高橋望さん。
演奏が始まり、アコースティックギター2本の素晴らしい音と迫力に圧倒され、初めて聞く新井さんの野太い低音が響き渡りだすと、思わず鳥肌が立ちました。
己の生き様を切々と歌い上げる姿の迫力に、月並みな言い方ですが感動・・思わず目には涙が。なんでいままで、こんな素晴らしい歌い手を知らなかっただろう。この感激のライブに来て良かったと、しみじみ感じる瞬間でした。
 この素晴らしいライブもあっという間にエンディング、会場のアンコール催促の手拍子が鳴り止みません。 新井さんはギターを置いてピアノの前へ、華麗な弾き語りで、喜納昌吉、作詞作曲の「花」が始まりました。突然舞台の前で踊りだす女性のハプニングもありましたが、ライブも感動のうちに閉幕。
 後片付け後の打ち上げにも参加させていただき、新井さんと気さくに話もさせていただき、サインまでいただきました。新井さん、高橋さん、新井英一事務所のみなさん、滝島先生、そして道場生のみなさんありがとうございました。(白河道場 島村幸彦)


新井英一 LIVE in 会津・酒蔵
 白河の滝嶋さんが毎年やっている新井英一ライブを、いよいよ会津でやらせてもらうことになった。会津でやるなら、ぜったいここがいいと、かねてより大石邦子さんと話していた、由緒ある末廣酒造・嘉永蔵である。
 主催はこれまで通り、事務的なこと、連絡調整、当日の運営等は滝嶋さんにお任せするとして、最大の問題は、会津でのチケット売り。新井英一を知っているのは、たった3人。
デモCDを作って皆に配り、「すごくいいから、とにかく聴いてみて」そうこうしているうちに、チラシ、ポスター、チケットが出来上がり、配り始めると、にわかに不安な空気が広がった。「いいのはわかるけど、(歌が)重いよね」「チケットが高い」 実際、この辺りのボランティア団体が扱うチケットとしては、3500円はかなりの高値なのである。一方、滝嶋さんは、「新井英一を安売りしたくないです」(そりゃ、私も気持ちは同じだけど・・)
 ちょうどその頃、BSで新井英一のドキュメンタリーが放映され、たまたま見ていたAさんが、「新井英一って、すごいのね〜 外人と英語でしゃべっていたわよ」理由は何であれ、ファンが増えるとチケットもおのずと売れるようになる。
 行きつけの酒屋のK夫妻も、新井さんのファンになり、店に来た客に勧めてくれた。酒を買い付けに来た客の中に、白河の『六番車』のマスターがいた。私も白河の打ち上げで行ったことがある。意外なところに大ファンのSさんがいた。そのSさんから、新井さんとは旧知の仲であるという和田さんの存在を知った。会場となった末廣酒造の専務が、会女の同級生であることも初めて知った。(社長は、新井さんと同い年だそうだ)彼女も新井さんの歌と声をとても気に入り、チラシをコピーして末廣のDMに入れてくれた。
 こうして、新井英一をめぐって、点と点から飛び火して、線が放射線状に伸びていき、迎えたコンサート当日。結果は予想以上の入り。白河でやる時よりは大分少ないけど、嘉永蔵だとちょうど聴き易い人数である。客の反応も良好。チケットを無理矢理買わされて、初めて聴いた人の感想・・「意外と、すごく良かった」「河島英五みたい」(ちょっと違うと思うけど)「トークもいい」「ギターもすごくいい」etc. 
 そして、私の感想は、慌ただしくてじっくり聴けなかったのが残念。打ち上げでは、新井さんの隣に座らせてもらったのに、すっかり舞い上がって何も話せなかった。言い出しっぺの大石さんに至っては、暑さで体調を崩して来られなくなるし・・やっぱりコンサートは、来てもらうより自分から追っかけていって聴くのがいい、というのが結論です。でも、いろいろと良い経験をしました。一生の思い出です。
 そして、ここに書ききれなかったスタッフの皆さん、大変お世話になりました。
 (福島県骨髄バンク推進連絡協議会 会津支部 青木英子)


新井英一 LIVE in 白河
 『佐藤さん今年はどうでしょう?期待してます』
今年も滝嶋さんから熱いメールが届きました。そう、去年おととしと2年続けて私は白河に行けなかったのです。メールをもらった次の日、善は急げとばかりに休みをもらい準備万端。あぁ、これで白河に行ける、みんなと会える。
 私にとって白河ライブは、他の場所でのライブとは少し意味合いが違います。他のライブはもちろん新井さんの唄が聞きたくて行くのですが、白河は白河道場メンバーに会いたくて行くのです。
 私が白河を始めて訪れたのは、1999年9月。その年、私は新井さんの東北ツアーを追いかけて回り、最終日が白河でした。新井さんのライブはいつも早めに行くことにしている私は、初めての場所という事もあり開場の5〜6時間前には到着し会場を見学していました。そこで主催者らしき男と遭遇したのです。
「仙台から来た佐藤といいます、何か手伝う事ありますか?」
「どうも滝嶋といいます、いやー本当ですか助かります。じゃ、CD販売お願いできますか?」
というと初対面の私におつり用の現金3万円を手渡しました。信用してもらえたのはもちろん嬉しかったのですが、ちょっと驚いたのを覚えています。
そして、この何気ない会話がこの後ここまでディープな関係になるとは、その時は想像もしていませんでした。
 白河は毎回会場が違うのも面白く、施設のホール、文化センター、道場と来て今年はなんとホテル(サンルート白河)の披露宴会場。天井はシャンデリア、ドア付近には蝶ネクタイのドアボーイ。一見ディナーショーかと見間違えそうでした。
 そして力強いピアノでライブが始まりました。曲は10月に出る新しいアルバムからの曲が中心でしたが、東北ツアー初日、そして白河という事も有ってでしょうか、全集初期の特に激しめのナンバーも唄われ、披露宴会場はまるでライブハウス。横を見ればドアボーイも真剣に聞き入っているのが分かります。あとはもうラストの『清河への道』そしてアンコール『花』まで一気に駆け抜けていきました。
 その高揚を持続したままの打ち上げでは、白河打ち上げ名物「唐辛子の肉詰め」をみんなで(新井さんも顔を真っ赤にしながら)食べ、私の白河2004は終わりました。
 素敵な唄と共に、素敵な仲間も与えてくれる。ありがとう新井英一!! また来夏も私は東北自動車道を南下するでしょう。
           (岩沼、名取実行委員 佐藤宗弘)


新井英一LIVE 2003 Special 2Day's
 今年も福島県へ新井英一さんを招いてのLIVEが9月13、14日の2日連続で行われました。新井さんを招いてのLIVEは今年で5年目となりましたが、初の2日連続のLIVEとなりました。そして、今年のLIVEは今までと一味もふた味も違うLIVEとなりました。
 私が新井さんを知ったきっかけであり、好きになった曲である、「清河(チョンハー)への道 48番」この曲は全部で約45分という新井さんの半生を歌った曲で、とても心に響く曲です。私はこの曲を初めて聴いた時、全て聴き終わった後に感動して涙を流した事をいまでも良く覚えています。
 あれからすでに8年以上たちましたが、あの時の感動が再び帰ってきました。
あの時以上の衝撃で。。。。「清河への道 48番」をLIVEで完唱。通常は一部が歌われるだけですが、今年のLIVEの2日目はこの曲を白河道場で完唱するという、もの凄い予定が組まれました。この「清河への道 48番」の完唱LIVEは新井さんが年間に2、3度の程度しか行わないとても貴重なものです。約45分もの曲を一気に歌い上げる。もの凄いことです。

 9月13日。1日目のLIVE会場となる矢吹町文化センターへ新井さん一行が到着しました。交通事情で予定よりも遅くの入りとなり、機材搬入、そして機材のセットが終わった時点で16:00を回っていました。開場が17:30からだったので既に、ギリギリの時間でした。その後にリハーサルが17:00過ぎまで行われました。リハーサルが終了する頃には既にお客様が会場の入り口にきていました。
 そして18:10過ぎ。予定より少し遅れてLIVEが始まりました。
相変わらずの新井VOICEと高橋SOUNDです。生で聴くのは約一年ぶりとなりますが、やはり圧倒的な声でした。野太く温かみのある歌声でした。
1日目は「ブルースの夜」という題目で行われました。そういえば、新井さんはブルースというジャンルなんだなと思いました。なんだか今までより少し渋い感じの新井さんに出会えたような気がしました。
 こうして、新井さんのブルースとともに夜は更けていきました。そして私の中では明日への期待がぐんと高まりました。

 9月14日。とうとうきました。「清河への道〜48番」完唱ライブ。
初めてCDで聴いてから8年の月日を数え、とうとう生で48番を聞ける日が。
しかも舞台は道場です。そして舞台となる道場には、LIVE用の「舞台」が作成されています。私は作っていないのですが、とても立派な舞台が出来ています。この上で今夜、新井さんが歌うのかと思うと何とも不思議な興奮に包まれました。
 そして、新井さんが道場に姿を現しました。新井さんのゴツイ体格を道場でみると、どう見ても空手家にみえます。新井さんを見た事があるかたなら納得して頂けると思います。とても大きな背中をしてます。リハーサルが行われました、新井さんは道場に溶け込み、少しリラックスして見えました。
 18:00が過ぎ、150名近くのお客さんの詰めかけた中、照明は2本のスポットライトのみでLIVEが始まりました。お目当ての完唱の前に普通のLIVEのように数曲の曲が歌われました。そして、「清河への道」が始まりました。40分以上もあるこの曲のすべてを、新井さんが生で歌う。それも手が届くくらいの距離で。これは、単に嬉しいを通り過ぎて感動になりました。涙が出て、思わす一緒に歌ってしまいまいた。心の中だけでと思っていましたが、声が出ていた事を、後ほど滝嶋先生に指摘されました。
 この曲には一人の男の半生が歌い上げられているので、歌を聴きながらイロイロな事を考えました。私がこの曲が好きなのは、聴き終えて「しっかり生きていくぞ!」っという思わされてしまうからでしょう。是非皆さんにもこの曲を聴いていただきたいです。

 5年目となる区切りに、とても感動的なLIVEが行えた事をうれしく思います。
そして、例年ご協力いただいている方々にありがとうございましたという謝辞と共に来年もよろしくお願いしますと付け加えさせて頂きます。押忍。  (白河道場 上野勝正)


新井英一 LIVE in 福島
 去る9月19日、福島音楽堂において、福島市では二回目の新井英一さんのコンサートがおこなわれました。このコンサートは、福島本部や白河分支部の新井さん好きの有志と、その他の仲間が実行委員になって行っているものです。一度CDを聞かされたときからいっぺんでファンになった私は、この19日が待ち遠しくて仕方がありませんでした。当日早めに会場に行き、新井さんのCDの販売の手伝いなどをしていると、新井さんのリハーサルの歌声が聞こえてきました。腹にずしりと響く声に、感動しながらひそかに歌を聞いておりました。リハーサルのうちから私はうっとりしてしまったのです。そのうちにお客様がどんどんいらして、新井英一ライブが始まりました。私は、妻と三人の子どもたちを連れて行ったのですが、何時も落ち着きのない、うるさく喋り捲っている下の子でさえもうっとりと聞きほれておりました。新井さんの歌は、魂にずしりと来る本物の歌です。聞きにこられた皆様満足して帰られたと思います。
 打ち上げは、知り合いのシェフがやっている中華風創作料理屋で行いました。たまたま私たち家族も同じお店でご飯を食べていたので、子供たちともども挨拶に行くと、新井さんは、うちの中二の息子を脇に座らせてくれて、いろいろ話をしてくれました。息子は、今ギターに夢中で、将来は音楽の道を目指しているので、新井さんの「いい目をしてますよ。」との言葉に舞い上がりとても緊張しているようでした。後で聞いたら感動してよく声が出なかったようです。本当にすばらしい経験をさせていただきました。気さくに話してくれていろんなことを息子に教えていただき、また励ましの言葉をかけてもらい本当にありがとうございました。私も家族ともども心に残る一日となりました。
 ちなみにこのライブの収益は、全額福島市社会福祉協議会、福島県骨髄バンク推進連絡協議県北支部、財)骨髄移植推進財団と、今年度は特別に「みきちゃんを救う会」(福島県富岡町の小学2年生で米国での肝移植を希望している美貴ちゃんを支援している会)へ寄付しました。      (福島本部  高橋成信)


新井英一 LIVE in 白河『情熱をふたたび
01LIVE風景1 新井英一ライブを8月31日に白河市文化センターで行いました。いろいろな人の協力で出来たライブに仲間の大切さを知りました。
 新井英一さんは歌手です。その歌声は力強くて人の心を悟らすゲンコツの様に心に響きます。50代になっても情熱と魂で生き、仲間と共に人生という向かい風吹く荒野に何かを求めひたすら突き進んでいる男です。
 新井さんとの出会いは3年前です。自分の先生である滝嶋先生が01LIVE風景2新井さんの歌にほれて「何が何でも白河に呼ぶぞ」と言ったのがきっかけでした。
誰かが言ってました新井の声は狼だ。吠えれば遠くで狼達が共鳴する≠ニ。共鳴したのが自分の先生だったわけです。
 今回白河では2回目になるライブですが、悪戦苦闘も数々ありました。それでも魂は折れず、ライブ当日には約280人の方々に来ていただき、障害を持った方や車イスに乗られている方々もたくさん来て下さいました。会場は満席に近く、新井さんの歌を聞こうと本当にたくさんの方々が来られました。当然ライブも盛り上がり、いつもは8番までしか歌わない『清河への道 48番』を16番まで歌ってくれました。
 男だけの打ち上げでは、先生から新井さんに「悩み多き青年ですから」と紹介され、「迷いながら生きている」という様な事を少し話したら、新井さんに「答えなんかすぐに見つかるか!そんなすぐ見つけようなんて甘っちょろい。ナメてるんだ!でも、答えを見つけようとする心はずっと持っとけ。」と言われました。そして新井さんが飲んでいたグラス01LIVE打ち上げの焼酎を自分のグラスに「強いけど飲め」と言い、半分ついでくれました。ひたりてうまき酒に泣け℃浮くいしばりました。自分の生きている日本には、新井さんや滝嶋先生の様なすごい男たちがうごめいている。そう思うとたまりませんでした。
 来年のライブまで新井さんに負けない生き方をして一歩でも前進できる様に、実行委員の我ら3人と白河道場の仲間達で頑張っていきたいと思います。
 最後に今回のライブに協力して下さった方々、本当にありがとうございました。とてもうれしかったです。 
           押忍    (白河道場 斎須拓身)次のLIVEへ(新井さんの運転で)01LIVEポスター


新井英一 LIVE in 福島
00LIVE 風景 今回は極真魂を愛読している皆様に、ちょっと変わったレポートをします。8月30日に極真会館白河道場の滝嶋君を中心とする新井英一LIVE実行委員会の企画による”骨髄バンクチャリティー・新井英一LIVEin福島“が福島市の音楽堂小ホールで200人を超える観客を集め行われました。観客の中には、三瓶先生御夫妻をはじめ道場生、道場関係者も多く、中でも九州は熊本から汽車を乗り継ぎながら来た女性には驚かされました。コンサートは、1時間30分にわたり腹の底からしぼりだす魅惑00LIVE 打ち上げの歌声に酔いしれました。
 LIVE終了後、実行委員のメンバー、新井さん、ギターの高橋さんらと打ち上げを行い、私自身、15才の時からギターを持って歌っていたので、ギター談義に花が咲き、二次会では、新井さんと私とであの”清河への道“を歌ったのです。それは、言葉では言い表せられない程感激しました。読者の皆さんも、機会があれば是非新井英一の歌をナマで聴いてみて下さい。なお、ライブの収益金全額と新井さんとギタリスト高橋さんの御好意による当日のCD売上が、福島市社会福祉協議会と骨髄バンク活動に寄付されました。
                      (三瓶道場 夏井正泰)
00LIVE ポスター


 新井英一(あらい・えいいち)



 1950年福岡生まれ。15歳で家を出る。ブルースに魅せられ21歳で渡米。帰国後、内田裕也氏に見出されデビュー。父の故郷である韓国・清河(チョンハー)を初めて訪れた際の思い出と、自らのルーツと半生を歌い上げた「清河への道〜48番」を1枚のアルバムとして1995年に発表。第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。日本で生まれ育ち、朝鮮半島の血を引く自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ。


新井英一 LIVE in 白河「魂のうた'99」
 9月6日(月)。とうとうこの日が来ました。
 それは「新井英一 LIVE in 白河」の当日です。新井英一とは誰なのか???知る人ぞ知る実力派シンガー新井さんを私が知ったのはTBSの「筑紫哲也のNEWS23」がきっかけでした。今から3年位前にこの番組のエンディングテーマ曲「清河(チョンハー)への道」を歌っていたのが新井さんでした。番組内で特集が行われ、翌日にアルバム「清河への道〜48番」を購入し聴きました。時間にして約45分、聴き終わった後に涙が溢れてきたのを覚えています。
99LIVE ポスター それから3年の月日が流れた今年の6月に、分支部長の滝嶋先生から「ちょっと手伝いをしてくれないか。新井さんという人を呼んで白河でLIVEをしようかと思って」と言われました。そこで「『清河への道』の新井さんですか?」と聞くと、先生は「何だ知っているのか!」と驚きの声をあげました。この時点で道場内で新井さんを知っているのは4人とのことでしたが、最終的にも4人でした。
 最終的に呼ぶか呼ばないかを決める日に、先生から連絡が入り「上野、おまえはどうする」と聞かれました。もちろん呼ぶか呼ばないかです。先生はこのとき「俺は独りでも呼ぶぞ」と言っていました(後で話を聞くと先生は「そんな風に言った覚えはない」といっていましたが私にはそう聞こえました)。ここで引き下がるわけには行かないので、「呼びましょう」と返答しました。そして道場生4人からなる「新井英一 LIVE in 白河実行委員会」が誕生しました。
 会場は先生が手配し、養護施設、白河学園内の地域交流ホームを借りることになっていました。次はチラシ、ポスターなどの制作です。これに併せて先生は後援の依頼を行っていました。後援には先生の人柄を反映して(?)教育委員会や市、マスコミなどのしっかりしたところについてもらいました。ポスターはアイデアを出して業者に依頼し、チラシ・チケットに関しては経費の削減ということで自分たちの手で制作しました(出来に関しては自信ありです)。
 道場内で4人しか知る人がいないのですから、チケット販売は困難だと想像していましたが、道場生の皆さんの多大な協力を得たおかげで、結局LIVEの2日前の段階で、予定席数を超えて売れ、席を増やすのに追われるという、うれしい悲鳴が出るにいたりました。
99LIVE 風景 さて当日、新井さんは車で白河に到着しました。白河へは初めて来たとのことでした。車から出てきた新井さんは、まさにあの新井さんであり、その声はCDで聞いていた新井さんの声でした。新井さんはとてもがっしりしていて、先生と比べても見劣りしないくらいの体格でした。移動の疲れも感じさせず新井さんはスタッフの方たちと音響のセッティングを行い、リハーサルが行われました。
 午後7時10分。定刻より10分遅れてLIVEは始まりました。
 新井さんの歌声は、「歌う」というよりは「叫ぶ」。まさに「咆哮」という感じでその迫力に圧倒されてしまいました。生で聴くのはもちろん初めてでしたが、来てもらって良かったと心底感じました。LIVEの曲目は最近出たアルバム「エイジアンパラム」のものが中心で、この時点でこのアルバムを聴いていなかったので「しまった」という感じでしたが、初めて聴く曲も新鮮でいいものでした。ほとんどのお客さんも初めて聴く曲ばかりだったと思いますが、新井さんの声の迫力、曲の魅力のおかげ新井さん達と実行委員で会場の雰囲気はどんどん盛り上がり、9月の6日だというのに会場は熱気がすごく、新井さんはたくさんの汗を流し、それを焼酎の水割りで給水しながら熱唱していました。
 最後(アンコールの前)にとうとう「清河への道」が流れ出し、生で聴くこの曲は最高の一言でした。ただシングルヴァージョンだったので、できるならば今度はアルバムヴァージョンを生で聴きたいと思いました。
 この曲を聴きながら、先生が言っていた言葉を思い出しました。「みんなが知っているならば誰かが呼ぶ。みんなが知らないなら自分たちで呼ぶ」たしかこのようなことを言っていました。この曲を聴きながら、今回の企画に自分が参加できて良かったなと思いました。
 LIVEの後、新井さん、ギターの高橋さん、マネージャーのサンスさんと共に打ち上げを行いました。もちろん女っ気なしの男ばかりでしたが、「こんなのもたまにはいいだろう」と新井さんも笑って言っていました。新井さんとたらふく食い、酒を飲み話をしながら、また来年も呼ぼうと心の中で決めました。
 右往左往しながらの実行委員会でしたが、終わってみれば気分爽快でとても楽しかったです。よい経験をしました。今回のLIVEに携わってくれた皆様に心より感謝を申し上げます。
 来年50歳を迎え、「50代が楽しみです」「僕は、生きるためのメッセージしか決して歌わない」と言い切る新井英一さんの咆哮を皆さんも一度聴いてみて下さい。
                                       (白河道場 上野勝正)


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