対 談(第2回)
  こ の 人 と 語 る

 今回は、当研究会の副代表・広報委員長の滝嶋邦彦さんです。滝嶋さんは学園の子供達と空手道を通して触れ合い、一時里親なども行っています。聞き手は広報委員で、空手道の御弟子さんでもある中島啓幸さんです。

中島・  先生、先ず白河学園の子供らとの出逢いから教えて下さい。
滝嶋・  94年に道場を開いて、空手をやっている以外の時間は何もしていないことが多く、 「このままでは、自分が駄目になる」という思いが強くなり、ボランティアへの想いが湧いてきたんだ。住宅地図や電話帳から福祉施設を調べ、「お手伝いできることがあれば」と電話したんだ。自宅の近くにこの学園 があって、はじめは「勉強を見てもらえないか」といわれたんだけど、子供達の要望とい うことで、希望者に週一回、学園の体育館での稽古から始まったんだ。
 その中で、様々なことを学んだよ。小さな事から、大きな出来事まであるけど、何よりも子供との関係、距離を縮めることからはじめようと思ったね。最終的には「空手の先生にならいろんなことを相談できる」という責任が重くなるまでの深い関係づくり をしたかったんだけど…
中島・  先生にとってボランティアとは何ですか。
滝嶋・  何についても同じだけど「良いことだと思ったら、やった方がいい」ということかな。自分の欲求で器を大きくしたい≠ニ思っている部分が先ず最初にあり、そして、子供のためという部分といい人≠ニ思われたいという偽善的な部分があるね。
 ただ、偽善でもそのやったことで少しでも 社会が良くなったり、偽善を重ねることでも自分がほんもの≠ノなっていけばいい し、理想に近づければいいと思うんだ。
中島・  僕は、中学生の時も社会に出てからも「変わりもの」と言われ、独特の僕の持ち味「どんこう列車で生きる」ことが虐待され、いじめ抜かれたことで、先生の道場の門をたたきました。
滝嶋・  中島は、いじめられて良かったと思うよ。 俺の人生から言えば、弟が重度の障害者で良かった。あそこが原点だと思うから。 しゃべることも自分で食べることも、寝返 りをうつことさえできず8歳の時に死んじゃったけど、その弟のことがあったから、 中島の場合はいじめられた経験があったから、いじめられる気持ち、弱い者を守るという気持ち、共に生きていこうという気持 ちや、添うていこうという気持ちを学んだんだと思う。  結婚して子供が産まれるという時に思っ たことなんだけど、何人かに一人という確率で何らかの障害を持った子供が産まれてくるというとき、その子が生まれたという ことで苦しみながらでも成長していける家庭になら幸せだけど、最後まで「受け入れら れない」家族のもとへなら不幸かなと思ったんだ。そういう家族のもとへ生まれるんだったら、俺や俺の家庭は「受け入れられる」し、さらに成長していけるだろうという自信はあったんで、「俺の家に生まてくればいいんじゃないか」なんて考えたりしたんだよね。
 決してお腹の中の子供に障害のあることを望んだわけじゃないんだけど。そんな事を言ったら随分親に怒られたね。(笑い)  あくまでも一定の確率でどこかの家庭に障害をもった子供が生まれるんなら、という話なんだけどね。
中島・  今後の生き方について教えて下さい。
滝嶋・  空手というのは自己を育み、生き方を求めるための手段、「道」であって、道場は様々な人が集まることにより磨きあい、高めあっていける「道の場」じゃなくてはいけないと思うんだ。でも、あくまでも一つの手段だから、空手という枠にとらわれること、自分の枠にとらわれること無く、「良いと思ったことはやる」という姿勢で生きたいね。自分のためにね。いい人∞すごい人≠ニも思われたいし。(笑い)
 そういうことを通して、子供達に生きることは素晴らしいことだと思ってもらいたいね。それが大人の責任だと思うんだ。そのためにも大人がいきいきと生きないとな。お互い頑張ろうよ。
おわりに
 滝嶋先生くらい正直で純粋で、実行力のある人はまれだと思います。「言ったことは先ず実践」の人です。 僕がこの3年、身近な心の師と思ったのはその点に尽きます。